医師 求人 父の日 「おもしろき こともなき世を おもしろく」 「ドーナツの穴がほしい。」寮の文集用に初めて書いたエッセーです。
ども。マックが帰ってきた興奮醒めやらぬ現在、眠ることはできません。最近エントリーしていなかったんで、一気にしてやろうと思います。

さて、先日僕が現在住んでいる寮の文集用にエッセーを書きました。テーマは、なんでもいいとのことでしたので、適当に書きました。せっかくなので、ここに転載しておきます。できの悪さも、今の自分だと思うので恥を偲ばず載せてみます。

ドーナツの穴が欲しい。


企業セミナーの帰りに、京阪の電車にゆられながら考えていたことを書きます。京阪の特急は、特急券いらないのにもかかわらず、座席の座り心地がいいので気に入っております。つらつらと書いていきます。とりとめもありません。

さて、人生ってなんのためにあるん?自分の命の意味って何?みたいなとりとめもなく、小っ恥ずかしくなるような事を考えることがたまにあります。僕は、歴代の偉大な哲学者達の功績にただ乗りするほど不遜ではないし、難解な日本語が苦手なんで、その答えを本とかに求めることができません。また、友達にそんなことを相談しようものなら、恥ずかしくて相手の言ってることの2割も理解できそうもないので、その答えを友達にも求めたことも多分ありません。したがって、非常に自分勝手で、偏狭な考え方ですが、それが自分の考えたことなので、仕方がありません。許してください。

んで、命の意味なんですけど、結局わかりませんでした。

でも、負けず嫌いなんで、とりあえず「なぜわからないかの言い訳」を考えることにしました。

だって、命の意味なんて、文脈、視る立場、時間、etcによってその答えって変わるでしょ?玉虫色なんじゃないかと。正面から打突しても、うまくなやされる感じがします。なので、直接的ではなく、間接的なアプローチをした方がいいんじゃないかと。王冠の体積を水を使って測るのと似ています。命そのものに意味を見いだすことはとりあえず諦めましょう。

こういうのはどうですか?

命はあくまで道具であって、副次的なものでしかないんですよ。意味を見いだすべきは命そのものじゃないんだと。例えば、人生を通して、何か偉業をなしとげたとしましょう。この場合、狭義で、命はその偉業を成し遂げるための道具であり、その偉業をなしとげるための道具として意味をみいだせます。

どこかで聞いた例え話ですが、命は「ドーナツの穴」みたいなものらしいです。ドーナツの穴は、その穴のみでは「穴」としてですら、その存在はないも同然です。でも、「ドーナツの穴」はドーナツの穴であることによって、ドーナツをドーナツたらしめ、また、自分を「ドーナツの穴」にしているんですよ。もしくは、ドーナツのパン(?)部分があるからこそ、「ドーナツの穴」でいられる。命もそう見てとれないでしょうか。だから、命の意味を問うのは、ドーナツの穴にその意味を求めるのと同じように難しい。

自分の命の意味を考えるなら、その命を意味付けれることを、自分の人生でしたらいいのではないでしょうか。坂本龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」みたいなものです。竜馬が言う「事」は、ドーナツのパンの部分ですね。

ってことで、自分の命に意味を付与できるようなことをしてやろーと思ったわけです。その途中で命がなくなってもしょうがないじゃんね?

そんなこんなで、京阪の車内は非常に居心地がよい空間だよねーと改めて思いました。

ではでは。
2010.02.09 Tue l Category: None l Comments (0) Trackbacks (0) l top

Comments

Post a comment












Trackbacks

Trackbacks URL
http://hiroki0129.blog126.fc2.com/tb.php/114-033ed96a
Use trackback on this entry.