医師 求人 父の日 「おもしろき こともなき世を おもしろく」 なんで日本人はホームレスに対して「いじわる」なのか。
マギルの日本語の先生と話す機会があった。そこで、なんで日本人ってホームレスの人に対して「いじわる」なんだろうね?っていう話になった。そこで、ちょっと考えてみた。日本で20年すごし、カナダではまだ1年足らず。そんな僕がこんなこと偉そうに書いていてみました。ちょっと長くなりました。時間があるときにでもどうぞ。


本当に、日本人はホームレスに対して「いじわる」か?確かに、カナダの人たちに比べると「いじわる」かもしれない。例えば、地下鉄とか道にいるホームレスに対して小銭とか食べ物を渡してるのたまにみかけるし。他にも、前住んでた寮から引っ越すときに(住人一斉に引っ越し。)、「あーこれ日本と違うなー」って思ったことがあった。寮のみんなが自分達の荷物をまとめていると、みんなのなくしたパスタやらスナックやらいろんな食べ物が出てきた。そして、おもむろに、これらの見つけた食べ物を2つの段ボールに入れていった。1つ目の段ボールは缶詰とかまったく未開封な食べ物をいれる。後でチャリティーみたいなのに送るためだ。2つ目の段ボールは、チャリティーに送れるほどいい状態じゃない食べ物だけど、まだ十分食べれるもの。後で、ホームレスの人たちにあげるためだ(!!)。スープの缶詰にはスプーンまでつけちゃう気の配りよう。

なんか、日本の(少なくとも僕の、)ホームレスの人々に対する考え方って全く違うなーって思った。ホームレスに小銭とか食事とかあげてる人日本でみたことない。引っ越しのときにでてきた食料を彼らに寄付するって考えは毛頭ない。っていうことで、とりあえず日本人はホームレスに対して「いじわる」っていうのを真と仮定して、理由を考えてみる。

んじゃ、なにが違うの??
日本人が排他的だから?カナダ人が日本人に比べて優しい人々だから??→カナダ人すげー!日本人しょぼい!カナダに引っ越したい!!カナダ万歳!!(「カナダ」はたまにに「アメリカ」とか「欧米」に置き換わることも。)」みたいな考えには僕はどうも納得できない。正直、まったく説明になってないじゃん?

だから、ちょっと考えてみた。
1. 日本とカナダの国とかコミュニティーの成り立ちの違い
2. 3種類の「relationship」
3. なんで日本人は「いじわる」か?
4. なんでカナダ人は「いじわる」じゃないか?

1. 日本とカナダの国とかコミュニティーの成り立ちの違い

僕の浅くて狭い知識で書いてます。単純化しすぎてたり、明らかに間違いだったり、なにか見逃してたり、配慮がかけているところがあったら、指摘していただけると嬉しいです。


日本って、海で他国から隔離され、歴史的にもそれほど移民が多い国でもない。※1「日本史」が始まる前に、中国やら朝鮮やら東南アジアやらからいろんな人がやってきて、日本にその後なる土地で暮らしはじめた。その後、大和政権やらができて、発展してきた。その際、他の地域から文化とかいろいろな影響を受けてきた。でも、あんまり人間の移動ってなかったんじゃないかな。江戸時代に庶民が自分のコミュニティーの外に行くのって、お伊勢さん参りするときくらいだったんじゃなかったっけ??当然コミュニティーは昔からお互いをしっている人々が中心になる。だから「村八分」なんてのが可能になる。お互い見た目も似てるし、歴史とか文化的、社会的規範をある程度共有できる、しないといけない様になっていくよね。

それとは対照的に、移民国家だよね。もともといろんなインディアン達が住んでたところに、世界中からいろんな人たちが集まってきたんだよね。今やNorth American Indianの人口は総人口の3.4%にすぎない。※2世界中から移民がやってきて、同じところで暮らすとなる。ある程度同じバックグランドの人たちとコミュニティーを形成することにはなるが、それにしてもすぐ隣にはまったく別のバックグランドのコミュニティーがある。そのうち2つのコミュニティーの境目はわかりにくくなっていく。そうすると、お互いに、見た目違う、文化とか習慣とか違う。こうなると、暗黙知なんてほとんど成立しない。ちゃんと説明しなきゃお互いわからないってことがたくさんあるだろうから。

簡単にまとめると、コミュニティーの中心が、もともとそこに住んでいた人たちか、移民が中心か、ってこと。この違いのせいでコミュニティーの文化、習慣、規範、お互いの関係が変わってくる。

2. 3種類の信頼関係

和魂と洋才とユダヤの商人

人間には3段階の協力関係がある。まず理屈度外視の血縁関係によるもの。第2に組合を作り、その中で協力関係を維持するもの。第3に騙されることを前提に協力関係を結ぶもの。



ここでは、マーケットの馬車馬っていうブログの上記のエントリーをもとに書かせていただきます。このブログ、まじでオススメです!!

第一の信頼関係は、家族。お互い無条件で信頼できる(はず)。対価とか、同じコミュニティーに属しているとかを超えて信用できるよね。3つの関係のなかで一番tightな関係。でも、この関係、激しく限られている。家族の数て普通そんなに多くによね。多くても50人とか?

第二の信頼関係は、コミュニティー。お互いに、ある程度の文化、慣習、規範を共有している範囲での信頼関係。そのコミュニティー内に限られる信頼関係だけど、家族に比べたら格段に大きい。

ただ、この関係、「アウトサイダー」に対して脆弱。コミュニティー外からの人は、文化、習慣、規範を共有していない。彼らは周りの評判なんて全く気にしない。むしろできない。旅の恥はかき捨てとはよくいったもんだね。それに対して、コミュニティー内の人は周りの評判を気にするだろう。村八分とか怖いし。

その例が、和魂と洋才と温泉のガイジンにうまくかかてれいる。温泉に入ろうとした外人が拒否されたっていう例。番頭さんにしてみれば、風呂場での暗黙知をしらない人に入ってきてほしくないのは、まぁわからないでもない。(ただ、なんでそこで暗黙知を説明しないんだろうか。ちょっとでもがんばれよ。。たしかに、銭湯だと費用対効果がよくないだろうけど。)コミュニティーの人が悪い、アウトサイダーが悪いっていう話じゃない。お互いのreasoningを見てみると、両方理にかなっている。

第三の信頼関係は、お互いを信頼しないことによって成立する。相手を信頼しないからこそ、約束を守ってくれたことに対して対価を払う。これは、血縁関係も、文化、習慣、規範なんて全くいらない。誰に対しても、これは通用する。そのかわり、この「対価」は他の信頼関係に比べて割高にならざるを得ない。

さて、1.と2.で、それぞれの国、コミュニティーの成り立ちと3種類の信頼関係についてつらつらと書いてきた。これがどう日本人が「いじわる」なのに関係するんでしょうかね。

3. なんで日本人は「いじわる」か?

1. で述べた国、コミュニティーの成り立ちを鑑みて、日本人は主に第二の信頼関係(コミュニティー)に依っていると考えることができるだろう。なんでって?そこは察してくださいm(_ _)m

ね?「察してください」なんて、第三の信頼関係(相手を信頼しない)に依ってたら、絶対に言わないはずでしょ?かといって、日本人全体が第一の信頼関係(家族)に依っているとは考えづらい。ってことで、日本は主に第二の信頼関係(コミュニティー)が中心だってことでいいでしょ?(強引で申し訳ない。)

さて、そんじゃコミュニティーの信頼関係が中心の日本はなんでホームレスに「いじわる」なのか。(やっとこさ本題。)

コミュニティーが強いところにいると、そのコミュニティーを離脱した分子を否定したくなる。それは、この分子は自分たちの存在を危うくさせるから。この分子が自分たちを否定しているか、否定していないかに関わらず、この異分子の存在自体が自分たちの存在を否定している。自分達を肯定するためには、この異分子を否定しなくてはいけない。異分子を否定することによって自分達を肯定するのだ。

(生物とかだと、この異分子ってとても大切だよね。もし自分達が全滅したら、この異分子が遺伝子を後世に伝えていく役割を果たす訳だし。でも、人間のコミュニティーはそんな風には考えないでしょ。なんか女子校の女の子のグループみたいだね。正直全く知らんけど。)

ってことで、ホームレスは、この「異分子」なんじゃないだろうか。自分達の習慣、規範を破った人。「勤勉に」「まじめに」「働く」ことを放棄した人たち。もしくはそうせざるを得なかった人たち。勤勉とかを「」に入れたのは、僕が勝手にこれって、ある程度のコミュニティーの規範と仮定しているから。(多分、僕は将来、勤勉に、まじめに働くことはないと思う。そこら辺はまた今度ね。ちゃんと仕事はしますよ。もちろん。)

「なんで自分は一生懸命に働いてるのに、働きもせずぐーたら生きてるやつらのために、俺が必死こいてためたお金あげないといけないの?小銭だけでも嫌だよ。」

ちょっと極端かもしれないけど、まぁこんな感じに思うこともあるでしょう。この異分子を否定する。否定することによって、「一生懸命頑張って働いている」自分達を肯定する。

だから日本人はホームレスに対して「いじわる」なのではないでしょうか?

4. なんでカナダ人は「いじわる」じゃないか?

カナダの国とかコミュニティーの成り立ちを鑑みると、彼らは第三の信頼関係を中心としているのではないか。あるていど第二の信頼関係もあろう。でも、モザイクと呼ばれるような社会において、お互いにお互いの文化、習慣、規範を尊重することはできても、それを暗黙知のように扱うことはできない。コミュニケーションが絶対不可欠になる。

だから、もし「異分子」が存在したとしても、はじめっから否定するようなことはないのではないか。異分子を異分子として否定していたら、「異分子」だらけの社会ではやっていけなくなるのは目に見えている。ちょっと考えてみてほしい。自分が一人いる。まわりは「異分子」に囲まれている。

「あ。俺が異分子だ。。」

むしろ、このような社会では、日本でいう「異分子」っていうのは存在しないんじゃないか。「異分子」が存在しない、って言っている訳ではない。『ここから「異分子」ね』、っていう閾値が日本にくらべて高いっていうことを言いたいのです。

だから、カナダの人たちはある程度ホームレスに対して「いじわる」ではないのではないでしょうか。

※1 もともと日本は単一民族国家、なんて言うつもりはない。僕の知ってる限りでも、東北はもともと桓武天皇が坂上田村麻呂に蝦夷を討伐させた(?)とこだし、北海道はもともとアイヌの人々に地、沖縄は琉球王国を勝手に併合したものだし。

※2 North American Indianにイヌイットって入ってるのかな?あと、政府に認定されてないインディアンの人たちは多分の数字に入ってないよね?どっちにしろ総人口に占める割合は小さいってことは変わりないけど。


終わり。

さて、この説明を昨日、あの日本語の先生に聞いていただいた。この説明がたがただなって思い知らされた。この説明のダメな所に関してはまた他のエントリーで書きます。

ではでは。
2009.05.23 Sat l 考えごと l Comments (0) Trackbacks (0) l top

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