医師 求人 父の日 「おもしろき こともなき世を おもしろく」 なんで日本人はホームレスに対して「いじわる」なのか。続編。
先日、『なんで日本人はホームレスに対して「いじわる」なのか。
というエントリを書きました。このエントリで書いた内容は、マギルの日本語の教授に聞いてもらい、フィードバックをいただきました。僕の説明、まだまだだな、って思っていた以上に思わされました。

このエントリでは、教授に指摘していただいた点の1つを書いていこうと思う。僕の説明の2つ目のポイント、「3種類の信頼関係」は本当に成り立つのか??今回は、とくに第二の関係についてのみ書きます。

第二の信頼関係は、コミュニティー。お互いに、ある程度の文化、慣習、規範を共有している範囲での信頼関係。そのコミュニティー内に限られる信頼関係だけど、家族に比べたら格段に大きい。

ただ、この関係、「アウトサイダー」に対して脆弱。コミュニティー外からの人は、文化、習慣、規範を共有していない。彼らは周りの評判なんて全く気にしない。むしろできない。旅の恥はかき捨てとはよくいったもんだね。それに対して、コミュニティー内の人は周りの評判を気にするだろう。村八分とか怖いし。



コミュニティー内の人間、本当に文化、習慣、規範を共有しているのか。それって、たんなる幻想ではないのか。その幻想におどらされて、現実がみえていないのではないか。

お互いが、自分がもっている文化、習慣、規範が当たり前だとおもって、それでもって他人と接していないだろうか。現代は、個々がお互いの規範等をすりあわせる機会がへっていると思います。地元の小さな祭りとか、寄り合い会とか、そういったところに参加する人減ってると思う。もし子どもがいない人が新しい地域に引っ越していったら、積極的に動かない限り、ほとんど地域の人と接する機会ってないのではないか(この書き方が、「引っ越した人」はその地域の人でない、って暗示してるよね。引っ越したら、その地域の人になればいいのに)。

お互いに、自分の「当たり前」をコミュニティー全体の「当たり前」とはき違えてしまってはいないでしょうか。自分勝手と気づかずに、もしろ、それがみなに受け入れられるべきとおもって行動していないだろうか。みながバックグラウンドを共有している、という幻想を元に、お互いに確かめることを怠ってしまっているかも。

だから、もっとコミュニケーションを取った方がいい。お互いの「当たり前」は、一人一人違う、っていうのを認識し、むやみやたらに「それ当たり前じゃん?」みたいなことを思うのはよした方がいいと思う。自戒を込めて。

もっとコミュニケーションがとれるようになれば、いろいろといいことあると思うんだ。単に誤解が減る、とかそういうのじゃなくて、もっと有機的なこと。

これは第1の関係にも通じるところがあると思う。コミュニケーション取ろうね、って話。だから、帰国したら普段しゃべらない父親と飲みにでも行こうかと思っている。
2009.06.03 Wed l 考えごと l Comments (0) Trackbacks (0) l top

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