医師 求人 父の日 「おもしろき こともなき世を おもしろく」 考えごと
マギルの日本語の先生と話す機会があった。そこで、なんで日本人ってホームレスの人に対して「いじわる」なんだろうね?っていう話になった。そこで、ちょっと考えてみた。日本で20年すごし、カナダではまだ1年足らず。そんな僕がこんなこと偉そうに書いていてみました。ちょっと長くなりました。時間があるときにでもどうぞ。


本当に、日本人はホームレスに対して「いじわる」か?確かに、カナダの人たちに比べると「いじわる」かもしれない。例えば、地下鉄とか道にいるホームレスに対して小銭とか食べ物を渡してるのたまにみかけるし。他にも、前住んでた寮から引っ越すときに(住人一斉に引っ越し。)、「あーこれ日本と違うなー」って思ったことがあった。寮のみんなが自分達の荷物をまとめていると、みんなのなくしたパスタやらスナックやらいろんな食べ物が出てきた。そして、おもむろに、これらの見つけた食べ物を2つの段ボールに入れていった。1つ目の段ボールは缶詰とかまったく未開封な食べ物をいれる。後でチャリティーみたいなのに送るためだ。2つ目の段ボールは、チャリティーに送れるほどいい状態じゃない食べ物だけど、まだ十分食べれるもの。後で、ホームレスの人たちにあげるためだ(!!)。スープの缶詰にはスプーンまでつけちゃう気の配りよう。

なんか、日本の(少なくとも僕の、)ホームレスの人々に対する考え方って全く違うなーって思った。ホームレスに小銭とか食事とかあげてる人日本でみたことない。引っ越しのときにでてきた食料を彼らに寄付するって考えは毛頭ない。っていうことで、とりあえず日本人はホームレスに対して「いじわる」っていうのを真と仮定して、理由を考えてみる。

んじゃ、なにが違うの??
日本人が排他的だから?カナダ人が日本人に比べて優しい人々だから??→カナダ人すげー!日本人しょぼい!カナダに引っ越したい!!カナダ万歳!!(「カナダ」はたまにに「アメリカ」とか「欧米」に置き換わることも。)」みたいな考えには僕はどうも納得できない。正直、まったく説明になってないじゃん?

だから、ちょっと考えてみた。
1. 日本とカナダの国とかコミュニティーの成り立ちの違い
2. 3種類の「relationship」
3. なんで日本人は「いじわる」か?
4. なんでカナダ人は「いじわる」じゃないか?

1. 日本とカナダの国とかコミュニティーの成り立ちの違い

僕の浅くて狭い知識で書いてます。単純化しすぎてたり、明らかに間違いだったり、なにか見逃してたり、配慮がかけているところがあったら、指摘していただけると嬉しいです。


日本って、海で他国から隔離され、歴史的にもそれほど移民が多い国でもない。※1「日本史」が始まる前に、中国やら朝鮮やら東南アジアやらからいろんな人がやってきて、日本にその後なる土地で暮らしはじめた。その後、大和政権やらができて、発展してきた。その際、他の地域から文化とかいろいろな影響を受けてきた。でも、あんまり人間の移動ってなかったんじゃないかな。江戸時代に庶民が自分のコミュニティーの外に行くのって、お伊勢さん参りするときくらいだったんじゃなかったっけ??当然コミュニティーは昔からお互いをしっている人々が中心になる。だから「村八分」なんてのが可能になる。お互い見た目も似てるし、歴史とか文化的、社会的規範をある程度共有できる、しないといけない様になっていくよね。

それとは対照的に、移民国家だよね。もともといろんなインディアン達が住んでたところに、世界中からいろんな人たちが集まってきたんだよね。今やNorth American Indianの人口は総人口の3.4%にすぎない。※2世界中から移民がやってきて、同じところで暮らすとなる。ある程度同じバックグランドの人たちとコミュニティーを形成することにはなるが、それにしてもすぐ隣にはまったく別のバックグランドのコミュニティーがある。そのうち2つのコミュニティーの境目はわかりにくくなっていく。そうすると、お互いに、見た目違う、文化とか習慣とか違う。こうなると、暗黙知なんてほとんど成立しない。ちゃんと説明しなきゃお互いわからないってことがたくさんあるだろうから。

簡単にまとめると、コミュニティーの中心が、もともとそこに住んでいた人たちか、移民が中心か、ってこと。この違いのせいでコミュニティーの文化、習慣、規範、お互いの関係が変わってくる。

2. 3種類の信頼関係

和魂と洋才とユダヤの商人

人間には3段階の協力関係がある。まず理屈度外視の血縁関係によるもの。第2に組合を作り、その中で協力関係を維持するもの。第3に騙されることを前提に協力関係を結ぶもの。



ここでは、マーケットの馬車馬っていうブログの上記のエントリーをもとに書かせていただきます。このブログ、まじでオススメです!!

第一の信頼関係は、家族。お互い無条件で信頼できる(はず)。対価とか、同じコミュニティーに属しているとかを超えて信用できるよね。3つの関係のなかで一番tightな関係。でも、この関係、激しく限られている。家族の数て普通そんなに多くによね。多くても50人とか?

第二の信頼関係は、コミュニティー。お互いに、ある程度の文化、慣習、規範を共有している範囲での信頼関係。そのコミュニティー内に限られる信頼関係だけど、家族に比べたら格段に大きい。

ただ、この関係、「アウトサイダー」に対して脆弱。コミュニティー外からの人は、文化、習慣、規範を共有していない。彼らは周りの評判なんて全く気にしない。むしろできない。旅の恥はかき捨てとはよくいったもんだね。それに対して、コミュニティー内の人は周りの評判を気にするだろう。村八分とか怖いし。

その例が、和魂と洋才と温泉のガイジンにうまくかかてれいる。温泉に入ろうとした外人が拒否されたっていう例。番頭さんにしてみれば、風呂場での暗黙知をしらない人に入ってきてほしくないのは、まぁわからないでもない。(ただ、なんでそこで暗黙知を説明しないんだろうか。ちょっとでもがんばれよ。。たしかに、銭湯だと費用対効果がよくないだろうけど。)コミュニティーの人が悪い、アウトサイダーが悪いっていう話じゃない。お互いのreasoningを見てみると、両方理にかなっている。

第三の信頼関係は、お互いを信頼しないことによって成立する。相手を信頼しないからこそ、約束を守ってくれたことに対して対価を払う。これは、血縁関係も、文化、習慣、規範なんて全くいらない。誰に対しても、これは通用する。そのかわり、この「対価」は他の信頼関係に比べて割高にならざるを得ない。

さて、1.と2.で、それぞれの国、コミュニティーの成り立ちと3種類の信頼関係についてつらつらと書いてきた。これがどう日本人が「いじわる」なのに関係するんでしょうかね。

3. なんで日本人は「いじわる」か?

1. で述べた国、コミュニティーの成り立ちを鑑みて、日本人は主に第二の信頼関係(コミュニティー)に依っていると考えることができるだろう。なんでって?そこは察してくださいm(_ _)m

ね?「察してください」なんて、第三の信頼関係(相手を信頼しない)に依ってたら、絶対に言わないはずでしょ?かといって、日本人全体が第一の信頼関係(家族)に依っているとは考えづらい。ってことで、日本は主に第二の信頼関係(コミュニティー)が中心だってことでいいでしょ?(強引で申し訳ない。)

さて、そんじゃコミュニティーの信頼関係が中心の日本はなんでホームレスに「いじわる」なのか。(やっとこさ本題。)

コミュニティーが強いところにいると、そのコミュニティーを離脱した分子を否定したくなる。それは、この分子は自分たちの存在を危うくさせるから。この分子が自分たちを否定しているか、否定していないかに関わらず、この異分子の存在自体が自分たちの存在を否定している。自分達を肯定するためには、この異分子を否定しなくてはいけない。異分子を否定することによって自分達を肯定するのだ。

(生物とかだと、この異分子ってとても大切だよね。もし自分達が全滅したら、この異分子が遺伝子を後世に伝えていく役割を果たす訳だし。でも、人間のコミュニティーはそんな風には考えないでしょ。なんか女子校の女の子のグループみたいだね。正直全く知らんけど。)

ってことで、ホームレスは、この「異分子」なんじゃないだろうか。自分達の習慣、規範を破った人。「勤勉に」「まじめに」「働く」ことを放棄した人たち。もしくはそうせざるを得なかった人たち。勤勉とかを「」に入れたのは、僕が勝手にこれって、ある程度のコミュニティーの規範と仮定しているから。(多分、僕は将来、勤勉に、まじめに働くことはないと思う。そこら辺はまた今度ね。ちゃんと仕事はしますよ。もちろん。)

「なんで自分は一生懸命に働いてるのに、働きもせずぐーたら生きてるやつらのために、俺が必死こいてためたお金あげないといけないの?小銭だけでも嫌だよ。」

ちょっと極端かもしれないけど、まぁこんな感じに思うこともあるでしょう。この異分子を否定する。否定することによって、「一生懸命頑張って働いている」自分達を肯定する。

だから日本人はホームレスに対して「いじわる」なのではないでしょうか?

4. なんでカナダ人は「いじわる」じゃないか?

カナダの国とかコミュニティーの成り立ちを鑑みると、彼らは第三の信頼関係を中心としているのではないか。あるていど第二の信頼関係もあろう。でも、モザイクと呼ばれるような社会において、お互いにお互いの文化、習慣、規範を尊重することはできても、それを暗黙知のように扱うことはできない。コミュニケーションが絶対不可欠になる。

だから、もし「異分子」が存在したとしても、はじめっから否定するようなことはないのではないか。異分子を異分子として否定していたら、「異分子」だらけの社会ではやっていけなくなるのは目に見えている。ちょっと考えてみてほしい。自分が一人いる。まわりは「異分子」に囲まれている。

「あ。俺が異分子だ。。」

むしろ、このような社会では、日本でいう「異分子」っていうのは存在しないんじゃないか。「異分子」が存在しない、って言っている訳ではない。『ここから「異分子」ね』、っていう閾値が日本にくらべて高いっていうことを言いたいのです。

だから、カナダの人たちはある程度ホームレスに対して「いじわる」ではないのではないでしょうか。

※1 もともと日本は単一民族国家、なんて言うつもりはない。僕の知ってる限りでも、東北はもともと桓武天皇が坂上田村麻呂に蝦夷を討伐させた(?)とこだし、北海道はもともとアイヌの人々に地、沖縄は琉球王国を勝手に併合したものだし。

※2 North American Indianにイヌイットって入ってるのかな?あと、政府に認定されてないインディアンの人たちは多分の数字に入ってないよね?どっちにしろ総人口に占める割合は小さいってことは変わりないけど。


終わり。

さて、この説明を昨日、あの日本語の先生に聞いていただいた。この説明がたがただなって思い知らされた。この説明のダメな所に関してはまた他のエントリーで書きます。

ではでは。
2009.05.23 Sat l 考えごと l Comments (0) Trackbacks (0) l top
今、$300程度のアパートに住んでいる。立地もいいし、めちゃくちゃ広いし、かなり満足している。

ただ、トイレの調子がいつもおかしい。さっき、やっと治った。そこで思ったことをつらつらと書こうとおもう。

このトイレ、2回に1回くらいの確率で、流した水が止らなくなる。今まで、トイレの水をながすときは、いろいろなことを考えてた。止るだろうっていう期待と、止らないかもっていう不安、正味どっちでもいいやっていう諦め、毎回毎回思うことは違った。

とまらなかったら、あの箱(?レバーがついてる水をためる場所)に腕をつっこんで、閉まらなくなってる弁をしめなきゃいけない。これが、いちいちめんどくさい。

いろいろ試してみた。F(x)=0にとりあえずxを適当に代入して、解をさがそうとしているようなもの。てか、変数ってx一つだけじゃないっしょ。いろいろな変数を試してみた。例えば、レバーを引く角度、方向、加速度、強さ、などなど。どうもうまい方法がみつからない。

そもそも、トイレなんて1日にそんな使わないし、何を試したかなんて、いちいち覚えられない。

そこで、水を流すときに、あの箱の蓋を開けて、何がどうなって、なんで弁が閉まらなくなってるのか観察してみた。F(x)がどんな関数か調べる、みたいな感じ?

今まで、トイレってどうやって水が流れるのか分からなかったけど、何となく分かった。
「この金具の曲がり具合を変えて、このチェーンをちょっと短めにして、、」
そんな感じ。

それ以来、毎回水はちゃんと止ってくれる。

つらつらどうでもいいこと書いたけど、これって他のことでも一緒だよね。ちゃんと他のことに応用できるようにしたい。当たり前のことかもしれないけど、忘れがちなので。

近いうちに、これに関連したエントリーを書く。Cognitionっていう講義の、problem solvingってセクションで習ったこと。暇があったらまた読んでくださいな。

ではでは。
p.s.
正直、トイレの仕組みなんてよくわからん。水が流れるとき、何がどう動くのか表面上の動きを観察しただけ。ある意味で、本当に仕組みがわかったわけじゃない。結局は対症療法しかできなかった訳だし。わかったつもりでいることが一番怖いと思う。例えば、表面上はトイレ治ったけど、今回の手直しでどこか別のところがいかれて、2ヶ月後に突然爆発するかもしれないし。いとこわし。
2009.05.12 Tue l 考えごと l Comments (0) Trackbacks (0) l top
アウトプットが足りない。って漠然と思った。そこで、せっかくだから、自分が考えるアウトプットとインプットらへんのつらつらと書いてみる。

A「まじで、アウトプットが足りん。ひたすらインプットしてる。インプットだけして、独りよがりな自己満足に浸っている。アウトプットがあってこそインプットの意味がまして、生きるはず。」

ここで僕がいってるインプットとアウトプットを分かりやすくするため、ちょっと例え話をつくってみてみる。ダメな例をあえて書いて、なんでダメか説明してみる。まわりくどいw

<ダメな例>
お金(インフレとかこの際、無視。小学生が考える「お金」くらいの意味で。)。収入がインプット、支出がアウトプット、貯金とか手元にあるお金はストック。

上記のAをこの例を使って書き換えてみる。
A'「マジで支出が足りん。ひたすら収入を得てる。収入だけ得て、独りよがりな自己満足に浸っている。支出があってこそ、収入の意味がまして、生きるはず。」

いや、ダメダメだ。僕の言いたいことが全く伝わらん。僕が言いたいのは、収入を貯金せずに支出に回せってことじゃない。

この例のダメなところは、
1.インプット=アウトプット+ストック が基本的に成り立つ。
2.時間軸がない。
の二つ。

1.インプット=アウトプット+ストック が基本的に成り立つ。
僕の頭の中では成り立たない。アウトプットを固定して、アウトプットからの視点でインプットとストックをみてみる。(高校の数学みたいw とりあえず変数zを定数として~~みたいな。)つまり、。アウトプットにどれだけ貢献できるか、っていう文脈で考えてみるってこと?
アウトプット=インプットーストック
ⅰ)インプット
アウトプットを出したからって減るもんじゃない。むしろ、アウトプットをしてこそ価値が増すはず。さらに、アウトプットによっては価値が負になることもある。
ⅱ)ストック
一義的に貯めておくのって無理。それに、アウトプットをしたからって、減る物でもない。でも使わないとなくなっちゃうかも。気づいたらストックが負になることも(アウトプットにどれだけ貢献できるかっていう意味で)。そもそも、インプットをためておけるのか、つまり、ストックなんてあり得ないかもしれない。

だから、アウトプット=インプットーストック
みたいな単純な一次関数が成立するわけない。変数2つを決定して、3つ目の変数を決定しようとしたけど、その3つ目の変数によって最初の変数2つが変化しちゃう、みたいな。

これらの3つの変数って、相互に絡み合ってダイナミックに変化するものだと思う。

2.時間軸がない。
1.とかぶるけど、時間の経過によって、インプットとストックの価値って変わる。時間によって上記の例の意味は、かなり変わるはずなのに、変わってないようにみえてしまう。。例えば、

A’’「まじで支出がたりん。この30年間ひたすら収入をためてる。収入をえて、貯金ばっかして、自己満足に浸っている。支出があってこそ、収入の収入の意味が増して生きるはずなのに。」

別におかしくないように見える。でも、実際はおかしい。この愚痴をこぼしている人の深刻さがまったくつたわってこない。A''では、今から支出を増やせばいいだけのはなし。でも、実際この愚痴をこぼしている人は支出(=アウトプット)を増やすことが簡単にはできない。それは、今までためてきたもの(ストック)が消えてなくてってしまっているかもしれないから。つまり、この人は30年間お金貯めてきたけど、もう今さら使うことはできないかもしれない、っていう非常に深刻な状況にいる。A''では、その深刻さは全く伝わってこない。

結局、インプットとアウトプットって、相互に絡み合って、時間の経過を巻き込んでダイナミックに変化するもの、なんだと思う。

以上、僕の考えるインプットとアウトプットをうまく説明できてない例をだして、なんでそれがダメかつらつら書いてみた。でも、うまく説明できる例がみつからん。だめだめだ。

最初の僕の問題意識は、「アウトプットをしてない」っていうことだけじゃなくて、それに付随する問題も含んでいる。アウトプットをしながらのインプットって、すごい意味があると思う。目的意識をもって読んだ本と、なんとなく読んだ本では得られる情報の量と質って全く違ったものになる。「アウトプット」をしないってことは、うまく「インプット」も得られないってことになってしまうんじゃない??

だから、僕は、
a)アウトプットそのものが足りない
b)アウトプットが足りないせいでインプットの量と質が下がってしまっている
の2つに今の自分の状況を重ねて、不安でたまらないんだと思う。

んじゃ、アウトプット増やせよ!!
→増やします。

ではでは。

p.s. 途中の変な例、まったくいらないんじゃないか?って思ってきた。

2009.05.10 Sun l 考えごと l Comments (2) Trackbacks (0) l top
剣道の大会に行ってきた。なんかモヤモヤするから、なんでモヤモヤするのか、モヤモヤしなかったときと比較してなんとかモヤモヤから脱出を試みる。「モヤモヤ」多すぎw

とりあえず、結果は、団体はMcGill Team Aが優勝、個人は、無段者の部優勝、初段・ニ段の部優勝、準優勝、三段以上の部優勝がそれぞれMcGill Kendo Clubの人たち。The Granby Tournamentっていう大会。ケベック州の人しか参加してなかったみたい。

俺?団体と三段以上の部で優勝したべ。べ。こんな感じ。

DSC03482_2_2.jpg


1位と2位はほんの少しの差だろうけど、全然違う。以前、とある企業の人事の人が、「1位と2位は全然違うよ。重みが違う。その後も違う。」みたいなことおっしゃってたなー。

確かに、違うよね。うん。

でもなんか、あんまり嬉しくないんですよ。団体戦で優勝できたのはすごく嬉しい。でも、個人戦がなんかしっくりこない。まったくしっくりこない。なんなんだろ、このモヤモヤ感。

自分が思ったようにプレーできなかったから?
相手がそんなに強くなかったから?
それとも、他の何か?

よくわかんないや。
んじゃ、どんなとき「うれし」かった?

とりあえず、高校のときの勝ち抜き戦のときのことを考えてみる。

高校2年の夏、どっかの勝ち抜き戦で、5人抜きした。すげーすげーすげー嬉しかった。なんで?

1. 難しい 〜5人抜きって難しいじゃん?〜
そりゃ難しいっしょ。1人で相手のチーム全員に勝つんだよ?休憩なしだよ?3分(?)とか短い時間内で少なくとも1本とらなきゃだめなんだよ?5人全員から。引き分けじゃダメなんだよ?
そもそも、相手のチーム全員と圧倒的な力の差がないと無理じゃん。ここで言いたいのは、5人抜きってマジで難しいよってこと。

2.  めっちゃほしい 〜とにかく5人抜きしたい。したい。したい。〜
あこがれ的な、自分には手の届かないもの、でも、どうしても欲しいもの。高校1年の夏に、初めて勝ち抜き戦の大会に見学でいったとき、5人抜きした人を見て、「やべ、でらかっこえぇがー。(このときはまだ名古屋弁を話してたはず)俺ぜってー来年5人抜きしてやるー」て思ってた。この気持ちがあったから、モチベが続いたんだよね。大学受験と似てるかも。

3. PDCAサイクル 〜まがいなりにもいろいろ考えて、自分なりに戦略(?)を立て、反省・修正をする、を繰り返してた〜
そりゃそんな難しいんだったら、並の体力(ひょろかったっしょ??)しかない俺ができる分けないよね。ってことで、いろいろバカなりに考えてた。

できるかできないか、ってのはあんまり考えなかった。できなくても無くすものって特に思い当たらなかった。機会損失? opportunity cost?opportunity costの定義‘the value of the next best alternative foregone as the result of making a decision‘を鑑みて、the next best alternativeて、特に見当らなかった。バカだったもん。どんなけ剣道に打ち込んでも、それなりに勉強する時間はあるっしょ?読書?時間は決めてたから(いつも朝のトイレの中。)別に減らないし。彼女がいるわけでもなかったから、別にそのための時間が減る訳もなく。。結局、opportunity costってほぼあんまりなかったんじゃないかな。(もしかしてopportunity costの考え方間違ってる??)他にやることがなかった暇人ってことか!

まずは先鋒(一番最初に戦う人)にならないと5人抜きはほぼ無理だよね。ってことで、先鋒になれるようにした。もともと先鋒向きだったとは思わない。中学で先鋒なんてやった覚えがなかった。

他にも、体力続かないじゃん?って問題。続けて最低1本全員からとれるわけないじゃん?とかいろいろ問題っぽいのがあった。体力は、ひたすら走って持久力つけた(つもりだ)し、稽古でもちょっと意識してた(はず)。

でも、どうにもこうにも、そんな劇的に強くなる訳も無い。圧倒的な強さで5人抜きできるなんて、そんな傲慢なことは考えれなかった。そんでもって高校1年の3月にあった「1年生大会」とやらで激しく自分の非力さを感じ、このままじゃまじで無理だ!!と思った。希望的観測を続けられないほど、自分の非力さを痛感したんだね。今思えば、あれがあってよかったかな、と。in hindsightでしかないけども。

ってことで、構えを帰ることにした。もちろん他にも理由はあったけど。上段にしたら、もしかして上段になれてない人たちなら5人抜きできるんじゃね?って思った。正直卑怯かな、とか思った。でも、一応ルールに従ってるし、反則はしてないし、ちょっとトリッキーなだけで、特に問題はないか、上段にしよっていう結論に達した。

  上段に構えを変えてからも、やっぱりいろいろ問題はあった。いや、そもそも上段難しいし。。そんな問題ひとつひとつチマチマ片付けてった。ハヤベンして昼放課に武道場にいって人形たたいたり、友達につきあってもらったり。周りにはすげー迷惑かけたし、お世話になった。ホントに。半端なくすげー先生に教えていただけたし、まじで幸運でした。ホントありがとうございました。

ちょっと冗長になったけど、言いたいことは、戦略たて、それを修正しつつ目標に近づいていった、ってこと。


まとめると、1.難しいことを、2.むちゃむちゃしたくて、3.PDCAサイクル (すげー地道に時間かけて計画立てて、改良を続けてた。)にのせて目標にちがづいていった。

結果的に、すげー幸運に恵まれて5人抜きできたよ。試合中はすげー汚い剣道やってたと思う。つかれると体動かないし。なんだかんだで十分な奇麗な剣道を5試合続ける体力はつかなかった。すごく醜いフォームで剣道してた。休憩してる審判(審判は5人くらいでローテーションしてるから、休憩してる審判がコートの近くに座ってる。)が俺みて苦笑いしてるのも、見えた。それでも、なんとか必死こいて5人抜きしたよ。

すげーすげーすげー嬉しかった。いや、まじで。(ボキャ貧です。精進します。)

ってことで、本気でうれしいって俺が思うには、
1.難しい 2. それでも、それがほしい 3.それを得る為に、必死こいた。
の3つが必要なんじゃないかと、 長ったらしい懐古から、 勝手に推定してみる。

さて、んじゃ、なんで今回のGranby Tournament優勝したにもかかわらず、モヤモヤしているんだろうか。

1.難しい
そうでもないか。ケベック州全体の大会だけど、そもそもケベックで剣道してる人ってそんなにいないでしょ。ベラボーに強い人たちは参加してないし。

2.めっちゃほしい
まぁまぁくらい。別にそんなに憧れてた訳じゃないし。まぁ、優勝できたらいいよね、って感じ。そんな感じ。うん。

PCDAサイクルした?
この大会の為に特別にしたわけじゃない。generalな感じで、自分の剣道がよくなるように稽古してた。

え? めちゃくちゃ嬉しい訳じゃない理由、明白じゃね?5人抜きしたときと比べて、3つともそろってないし。

これ以上、悶々と考える気はない。けど、モヤモヤ状態の理由を考える為には、「すげー嬉しかった状態」と「すげー嬉しくなかった状態」のふたつと比べる必要があるかもしれない。この場合、「モヤモヤ状態」は、これら2つの状態の間にあるって勝手に仮定してるわけだけども。

そんなことを深夜に考えつつも、やっぱりモヤモヤ感は拭いきれない。この比較そもそもどうなん?なんか違ってない?他にもっといい方法あるくない?だれかコメントしてちょ。まじで。このモヤモヤ感いやだ。

ではでは。
2009.05.03 Sun l 考えごと l Comments (2) Trackbacks (0) l top